Culture de l'histoire japonaise

conseil
introduction



(由緒格式)

大楽寺は千年以上の永年によるたび重なる災害や社会変動の中にあってもめげずに日本仏教阿弥陀仏信仰の尊さを今に伝えています。


幕府や加賀藩から後ろ盾を受けた石高持ちの浄土宗準別格寺院でしたが戦後は農地改革などで市内全域、高岡市姫野、新湊作道などの
所有地の大半を失い、また内川沿いの舟係留権や荷揚げの権利、近海の漁の網いれ権利などの経済基盤は皆無となりましたが県内外の
檀信徒の方々の協力によりお寺は大切にされています。



・花山院天皇勅願(荘園石高安堵寺院)

・戦国時代より越中一国観音霊場札所(御朱印)越中浄土門では唯一の選定がなされました(証として前田のお殿
 さまより石高加増寄進のうえ安堵)

・江戸時代の越中東照宮由緒安置所(越中唯一公認、石高加増寄進安堵)

・江戸時代に浄土宗総本山知恩院第71代御門主萬誉上人出身格式寺(高僧輩出により加賀藩主より石高加増寄進安堵)

・平成15年「新湊えびす大黒 福の神 由緒七社寺札所(御朱印)

・平成23年「県内法然上人遺蹟札所」(御朱印)

・新湊大仏の大仏寺などいくつかの末寺下寺を擁しています(江戸時代より)

・江戸、明治、大正、昭和のはじめまでには北陸地での浄土宗僧侶専門学校的な役割を持ち歴代住職からの教授指導を受けた多くの弟子を
 江戸、大坂、京都に送りだし大楽寺師籍の法灯を受け継いだ弟子・門葉として、それぞれ各地由緒寺院の住職をつとめさせていました
 お寺にはその当時の弟子たちの試験採点表など残されています(もちろん非公開の書類です)

 なお浄土宗総本山知恩院には最高唯一の浄土門主として2人の門葉を出しており(共に新湊地区出身)全国の寺院の中
 でも稀な由緒格式があります




みどころ


(国の登録有形文化財)

大楽寺本堂と庫裏の二件が選定
(平成9年6月 1997年)

・国登録有形文化財全国寺院で第1号に選定(全国でも稀な白壁大型土蔵しっくい造りの本堂と明治期に小学校
分校としても利用された数奇屋造りの庫裏)なお同じ時期には大阪城の天守閣も選定されています

(福井工大の吉田純一教授の熱心な調査により大楽寺が学術評価されました。吉田先生は高岡市文化財審議委員建造物専門家として瑞龍寺が国宝指定に至るまで
 格別なアドバイスをいただきました。また日本の城郭の研究家でも著名)

・参考 大楽寺以外の国登録有形文化財には次のような名建築物があります。(東京大学安田講堂、国立天文台、東京タワー、
    東京商船大学天体観測所、東京女子大学本館、学習院大学正門、一橋大学本館、、東京水産大学雲應丸、日本民芸館本館,大阪通天閣、大阪城天守閣)


(江戸時代中頃すぎの貴重な遺構)
山門について

・切妻造り本瓦葺き一間一戸棟門でもとは加賀藩上屋敷上級藩士宅の表門、大楽寺が度重なる火災にあい江戸中
頃にお寺を心配された家老の指示によりはるばる当地に移築されたもの。

・加賀藩士の子息から歴代住職を代々選び就任してきた理由から筋金入りの「武家門様式薬医門」は県内でも珍しく
、県外に似たような門として赤穂浪士で有名な東京高輪泉岳寺浅野家・四十七士の墓所門(元は赤穂藩浅野家の
 裏門を移築)があります。港区の文化財となっています。


(市指定の文化財)

・市指定は平安時代の阿弥陀如来木造、室町時代天文年間の涅槃絵図、江戸時代 萬誉上人の御名号

中国指定文化財の中国酒(百年以上の古酒)(現住職による3度目の五重相伝結願の時に開封を予定)
  平成35年ごろです それまでお互いに元気で過ごしましょう



(主な宝物)

・平安時代の阿弥陀如来像

・鎌倉時代の阿弥陀如来像(3体)
・鎌倉 秘仏観音像、
・鎌倉時代の大型五輪の石塔(丸石の1 石の重さ300キロ余り)

・南北朝時代の石碑

・室町時代から江戸初期といわれるの十王図11幅
・室町時代の熊野勧心十界図(北陸地方では唯一の所蔵です 欧米でも紹介されました。

 (近県では新潟県立博物館所蔵の絵図(新潟県の文化財指定)の内容とよく似ています)


・江戸時代古典籍2300冊



・明治の高村光雲作の観音木像
・平成17年愛知万博ネパール政府館で特別展示されていたマニ車33個


(大楽寺・田村コレクション)

・拝観にはテーマごとに事前予約(電話)が必要です(拝観料が必要)

・北前船関係資料(古文書、船時計、引き札 航海絵図、地図、航海測量器具、書籍、航海鑑札 など)

・日本海沿岸古民具(自在かぎのえびす、大黒、あかりとり

・はたおり糸つむぎ数十点

・音の鳴り物コレクション(江戸時代元禄年間より江戸各時代の音色の聞き比べができます)


(こぼれ話)

・江戸時代の乗り物おかご2台、菊の御紋章いりのおかごは歴代御住持の専用で加賀藩金沢城登城にはフリーパス
 であったと伝えられています


・歴代住職は藩命により金沢藩士または加賀・越中郷士または藩士関係寺院の子息が就任

・山門は武家門様式の薬医門

・山門から本堂までの石畳は四国から北前船で運ばれたもの

・本堂正面下部外壁は福井県産の有名な石材青みがかった「笏谷石」を採用施工、これも北前船で運ばれてきました

・お寺の歴史は天平時代に遡ると伝承されています。(最近、近隣の日吉神社から大楽寺の天平時代からの由緒古文書が見つかりました。
  これまでも富山県立図書館やお寺の由緒にも記載)



・「大楽寺七不思議などいくつかの不思議なはなしが今に伝えられ謎が深まります

1 大楽寺の天狗さんに守られた村の衆(大手の生命保険会社が紹介して下さいました。)
 
2 多くの船乗りたちを嵐と遭難から助けられた秘仏観音様

3 大楽寺の仏さまが近隣の日吉社に行ったり来たりと遊びに行かれる話

3 七色の虹を掴んだ大楽寺の小僧さん

4 悪い夢や恐ろしい運命を変えてくれる霊獣・白択のはなし

5 心ねの悪い人がお寺の前を通ると強い光を発し心の良い人には身を守る光を発する幸運の阿吽の白獅子

6 妖怪伝説 夜な夜な妖怪など百鬼夜行がお寺に遊びに来てます

7 赤お不動さんが女性たちの切実な願いを聞き届けてくださいます(遊女の願いを叶えられた赤不動の絵馬が奉納されています)

8 恵比寿さんと大黒さんがぶらりとお寺に参拝

9 江戸時代 浄土宗総本山知恩院第71代萬誉上人と大楽寺のねずみのはなし

10 江戸時代 浄土宗大本山増上寺御門主、祐天上人との不思議な霊力のはなし

11 人が亡くなる直前にその霊魂は大楽寺の阿弥陀様に参拝そのあと善光寺の阿弥陀様にも参拝してから身体に戻るといわれます
   (もちろん大楽寺の許しを事前に受けた方だけです)
12
  おまけのはなし
  江戸時代には 義賢行者や徳本行者が大楽寺の不思議な霊力に誘われて多くの信者を引き連れて参拝のはなし
 





(建物の特徴)

・白壁大型土蔵しっくい造りの全国でもまれな本堂で堂内はけやきと能登のひばの材料を使用
・本堂正面にはこて絵彫刻の白獅子

・白漆喰壁は黒壁より耐久性対応の工夫作業が難しく暇手間かかっても日本的美観から国内の名城たとえば江戸城や国宝姫路城などにも使用されてきました

・庫裏いろりの部屋の天井はふきぬけ、せいろ組みで部屋の仕切りは拭き漆のけやき材、杉材の帯戸

・座敷の中の「いろり」は現在も冬には炭火がおこされてあかあかと身体を温めます
・奥座敷には、田村哲山師存命の頃、宮内庁楽人や、政治家故正力松太郎氏、ジャイアンツ長島、王監督など

 おおくの著名人が来遊され。うまいお酒と日本海の荒波で獲れた日本一うまい魚手作り料理などで楽しんでもら
 っていました


(手入れの行き届かない小さな庭園ですが 四季折々の花木・草花を大切にしています)

 1 たらようの木 手紙の木

   (江戸時代幕末ごろに金沢藩士の子息が中間・使用人を連れて大楽寺に弟子入りしたときにその母親が幼苗を
   もたせたもので手紙の木または葉書きの木ともいわれ郵便局で記念植樹されている北限では珍しい樹木です
   

 2 日本三大桜(国天然記念物)の一つで樹齢千年以上といわれる福島県三春町しだれ滝さくら 実生から出自のしだれさくら)

   (平成23年3月11日東日本大震災を慰霊記念して福島県三春から特別に取り寄せて本堂前に記念植樹したもの、
    三春には住職が学生時代昭和37年夏の10日間あまりゼミ研修地として大変にお世話になったところです
     滞在中、主食は白米がなく野菜のトマトやさつまいもが代用でしたが苦痛とは思うことなく大切な記憶です)


  3  金木犀

   (平成8年10月現住職が中国五台山にて中國政府の協力で文化財調査のおり、あちこちで金木犀の香りに包まれました。
    無事に公務を終えた記念に植樹し、この調査の結果の一つが某お寺の国宝指定のきっかけともなりました。
    当時の中国は治安が極端に悪く情報も少なく、また出発の1か月前には訪問調査地の近辺で外国観光客十数名が
    虐殺されたこともあり当時の公務出張も命がけでした。)



 4 榊・サカキ

   (昭和63年秋 青年の翼 企画と教官としてインドネシア バリ島 ジョグジャガルタ ジャカルタなど各地に公務してきました。
    当時まだ観光地化しておらず風俗、祭りなど貴重な事象が残っていました。そのなかで村村の入り口には榊の木が植えられ、
    さらに白布で垂れ幕ののぼり旗も下がり、丁度日本の神社仏閣の入り口のルーツのようでした。それぞれの村を守っているのでしょう。
    参加者全員が事故なく無事に帰ることが事ができたことからその記念として植樹。




 5 
春一番にお寺の庭には黄色の蝋梅やしだれ梅、しだれ桜、乱れ連翹、椿の大輪、孔雀椿
   初夏にはぼたんの大輪、不思議な名前の半夏生
   夏には沙羅双樹の白い花、サルスベリのピンクの花

 
  秋には酔芙蓉や、金木犀の良い香り 山門近くの萩の白い花,ニッコウキスゲ、ホテイソウ、さんご樹の赤色の実 晩秋には錦木色とりどりです。


 6
   山門前では香り豊かな香り草の多種多様なハーブのミント、ラベンダーなど(毎年、日本蜜蜂がはなみつを取りに来ています)
    決して雑草だらけにしているわけではありません
 
7
  
   H29年3月27日  東京目黒祐天寺さまから贈られた祐天サクラ
            祐天上人300年御忌を記念しての植樹










(当山出身の主な 故 高僧・名僧)

○江戸時代、大楽寺24代禅誉上人など多くの紫衣勅許住持を輩出
  禅誉上人は天保5年1835年 第120代仁孝天皇より勅許を受け、大楽寺勅許上人として全国浄土宗僧の中でも破格の扱いを受けました。、
   将軍11代徳川家斉の推挙あり


・江戸期の名高僧 貞極上人から直伝の秘法・伝法が歴代の大楽寺筆頭弟子に今も連綿と伝えられています


○浄土宗総本山知恩院第71代御門主萬誉顕道上人
  嘉永元年1848年 第121代孝明天皇より勅許 将軍12代徳川家慶の推挙



 大楽寺第24世の直弟子で孝明天皇の綸旨を受け大命により59才で浄土御門主に大抜擢、当時の天皇皇族方と幕府との絆の大切さを双方に
 直接に指導された宗教哲学者、日本海沿岸の都市、地方からはじめて知恩院の御門主となられて宮中

 への昇殿を特別に勅許されていた
新湊出身十村役米田家より。江戸時代には総本山知恩院は多くの
 公的権限が集中されて、江戸時代その御門主の存在はたとえばキリスト教カトリックの中世時代のローマ法王
 と似ていたと伝えます





 嘉永元年に異例の59才の若さで就任
 後 同じく安政3年に10万石大名陣容で大楽寺にお里帰り、その格式ある陣容内容は福井、加賀の道中陣屋に使用されたお寺に今も伝わっています
。大楽寺に戻られて師の24代 禅誉上人と御両親の追善法要を勤められ

 ,翌年知恩院で往生される。墓石は知恩院歴代御門主墓所のなかでも千姫さまに近い場所。

※千姫ー徳川2代将軍徳川秀忠の長女
※徳川秀忠の墓所は浄土宗大本山増上寺

※磯田道史の研究・文芸春秋≪無私の日本人」によると徳川家の祖・松平氏は流浪の念仏僧・徳阿弥を初代とし孫の代にいたり知恩院
の住持を招き岡崎に大樹寺という菩提寺をたてた。大樹の意味は将軍の意味とする。松平家四代親忠の子・存牛は後柏原天皇の綸旨を受
けて知恩院二十五代となる。家康が天下を取る80年前のこと。知恩院の住持である門跡は宮様から選びそれをかならず徳川将軍の猶子(準養子)
にして京都と江戸を往復させた。






○浄土宗総本山知恩院第84代御門主高畠寛我上人(昭和時代に大本山清浄華院御法主・佛教大学学長などと
 して活躍、
 
 新湊出身 郷士格の高畠家より。母上は大楽寺26代法誉上人の直弟子尼僧、本人は幼少時より大楽寺26代
 27代より伝法を教授され県外在住なるも大楽寺の法灯を受け継がれたお1人



藤花教道上人 新湊出身 ハワイ別院初代名誉総長(戦前、戦後を通じてハワイでのラジオ放送や新聞主管,
 発行者として 活躍、宗教家として真理、まこと、義理、人情を大切にされた 各宗の中でも特に著名人、ハワイ

 では日本からの政財界、皇族の方々の相談にのられ、お世話もされた。高僧でありながら進歩的革新的斬新
 なアイデアを持ち朗らかな明るい性格にあわせて藤花家一族特有の士族の流れを引きついた金銭や名誉欲を

 求めず, すじを 通し、裏考えのない誠実でおだやかな人柄に多くの人から信頼をうけ、多くの人々を魅了した。
 著書として『へちま談義 』などがあり、時々通販オークションには貴重な書籍として出てきます。

 先祖は加賀藩士出自、藩内内紛あり責任をとり身を引き浄土真宗東本願寺派僧侶となり江戸期に新湊で庵建立。

 実父は藤花右京。教道上人は右京の次男で新湊出身、幼少時に大楽寺近隣の浄土宗寺院の弟子となり実弟の
 いる大楽寺に弟弟子(おとうとでし)を引き連れて大楽寺の弟子たちとお寺の池で鯉を釣るなどよく遊びにきて、
 いたずらをしてきた との思い出を聞く。

 学生時代は 当時の飛び級で進級進学、旧制中学からの東京生活は長く浄土宗の期待大きく受けて大学卒業後
 は海外派遣、アメリカハワイでのラジオ放送司会や ハワイ新聞主管など日系人の心の拠り所として国際的レベルの
 活動で活躍。

 その後、師匠や法類から藤花が長老兄弟子筆頭の地位から、新湊の師匠寺に戻りその後継を強く要望された
 が東京出身の藤花夫人の意見やハワイ州知事らの招聘もあり、 富山に戻るその願いを断り、年下の弟弟子たち

 の中で住職を選ぶように進言、その後、国籍をアメリカに移し永住、戦前戦後の日米親善文化交流 に努められ
 アメリカ代表のジャーナーリスト W・クロンカイトからも取材を受けられその後お付き合いされていた。
 晩年は 叙勲褒章を皇居でいただかれた。


 藤花教道師は戦後も毎年、2〜3回はハワイから東京、富山に戻られ実弟が住持の大楽寺で数日間滞在、
 日本と異なるアメリカの珍しい話は生活のレベルなどの違いに驚いた。戦後から毎年数回も大楽寺に送られて

 くるココア、チョコレート、コーヒー、飴、菓子など国内でも、手に入らない食物があたりまえのようにふんだんにあっ
 たハイカラな日常は今でも思い出される。

 藤花家に代々伝わる守り仏の阿弥陀様(約70センチメートル弱)室町時代作は長年にわたり預けられていた禅宗の
 尼僧さんから返還を受けて現在は大楽寺御本尊の前立ちの仏様として鎮座されている。




○田村哲山上人 新湊出身、幼少時に大楽寺の弟子となる。父は藤花右京。藤花教道師の実弟。戦前に大学卒
 業後、縁ありて兵庫県西念寺老僧に見込まれ婿養子、その後西念寺住持となるも大楽寺師匠死去により後継者

 として大楽寺兄弟子たちがこぞって推挙。兄弟子たちの熱心な意見はその当時絶対的のことから受け入れをやむ
 を得ず了承し1年にわたり後継者を選び一任したあとに大楽寺30世に就任。老僧や西念寺とのつながりを忘れない

 ために旧姓に戻さずに田村姓を継承。元新湊佛教協会会長



  趣味は雅楽が堪能で特に笙を専門とした芸術家で宮内庁楽人と交流、学生時代は柔道部主将で活躍、青年期は
 小学校教員、口数少なく口下手であったが、出世欲や名誉欲、金銭欲のない誠実で温厚なひとがらは昭和時代を

 代表する最後のお坊さんらしいお坊さんであったとのことをいまでも地域で話題になります。特に地元の小学校時代
 旧制中学時代、専門学校、大学時代の友人たちからもその人柄は慕われていました。

 年少児の小学校・旧制中学校の学生時代の逸話として、戦前にたびたび県内ではコレラや赤痢など救命不明の流行り
 病気の多かった時、他のお坊さんたち誰もが怖がり近寄らない枕勤めや通夜、葬儀などに自分の命を顧みずに、一人で

 おまいりの回向と丁寧な儀式を行ない、さらには生活困窮者の方には無償の無布施ででお勤めされていたと兄弟子
(東京各地在住の)存命中に現住職は伺った。


 また読経のお声は堂内四方に響き本堂の柱までが共鳴する特別なお声でした。


※弟子を入門させてきた格式寺では、その住職後継は筆頭弟子から選ぶのが原則です。兄弟子特に筆頭弟子の
 発言は師匠の次に重要なことでした。1年でも得度が早ければ年齢が若くても兄弟子です。

 お寺の弟子兄弟の関係は実の兄弟よりも関係の深い縁としての作法があり、厳しさがあります。



(近隣の観光と食べ物)

・市内観光は帆船海王丸 富山新港 新湊大橋 日本のベニスといわれる内川 新湊えびす大黒七福神めぐり

・室町時代10代将軍足利義材が赴任の都 歴史の町(放生津幕府の遺構)

・市内の食事は 富山湾の宝石とわれるしろえび、 ぶり かに ほたるいか あまえび 珍味のゲン魚 昆布締め
 のひらめなど 日本海荒波で獲れおなさかなづくしの料理がおすすめです 多くの料理店ではランチが食事の

 ボリュウムなどでお手頃です

・住職は冨山県の食の語り部 として、富山ならではの豊かな食伝統文化推進のお手伝いをしています
 
・県内の観光は 黒部 立山  八尾 城端 五箇山世界遺産(近くに白川村) 氷見 高岡の町並み 宇奈月 庄川

・県外では高山 古川 金沢のまちなみ 能登半島

 (余談)
・蕎麦店の建物の建具、柱,梁などの日本伝統建築を見ながら素晴らしい人生・時間を感じることのできる大人の
 こころをお持ちの方は下記のお店を訪ねてみてください。そばの味も特におすすめです 

            
            砺波の福助(ふくすけ)
            高岡駅南おとぎの森近くのそば喬文(きょうぶん)
             
       
(独自の社会貢献について)

地域の歴史伝統文化の振興につとめています。

・富山県博物館協会と北信越博物館協会に(1995年、平成7年4月に加盟)して、所蔵品の予約公開を行っています。

・お寺の中を公開し地域歴史伝統文化の講話をしています。もちろんお寺の法話もいたします(予約要)


 ・
(海外支援と親善交流につとめています)

 
・オイスカ「子供の森」計画を応援しています
 ・これまで「日赤」を通してアジア各国や日本国内の災害に支援活動をしています
 ・アジア各国の方々と独自の親善交流を重ねています

(福祉をともに学んでいます)

 ・福祉施設での学習応援で、和紙づくりの牛乳パックをあつめています
 ・あしなが育英会を応援しています
 ・3・11大震災での東北地方特に福島県や宮城県を中心にささやかな支援を毎年継続しています
 

(エコ活動について)

・環境を大切にしたお寺独自のエコロジー活動やスローライフを実践継続しています
          (雨水の利用、ナマゴミの有機利用など)


(防犯について)
・昨今の社会事情で境内、山内共に特別な工夫をおこなっていますので御了承下さい

 住職は地域防犯協会活動を担当しています。

 賽銭泥棒や空き巣、泥棒、こじあけ無断でのお寺侵入など罰当たりな方は 入館お断わりしています

 にこやかな笑顔と裏腹にもっともらしい嘘偽りの言葉で他人をだまし落としいれて 多くの人に迷惑をかけている
 救いようのない方はお断りしています

 


(お願い)
・信仰や日本の歴史文化芸術に無縁だった方たちが大楽寺で心を揺さぶられ息をのみ感動されることを期待してます


 拝観はテーマごとに(御朱印含む)電話もしくは書面で事前予約お願いいたします(準備に時間を要します)


(拝観・入館料について)


 御朱印1件  300円

 宝物・拝観1人 300円 中学生以下 200円

 (駐車場について)
 自家用車は数台可能 観光バスは駐車場所を事前にお伝えいたしますのでTEL相談下さい

 (予約拝観のテーマ)事前に連絡ください

 国立など著名博物館や京都名刹寺院所蔵などと同じレベルの作品を大楽寺は多く所蔵し、門外不出の宝物、前田の
 お殿様指定の秘仏(33年ごとに開帳)は前立ちのほとけさまなど

 
主な大楽寺・田村コレクション

 北前船資料コレクション(関連ペリー来航資料、日本さかさ地図、世界地図、天文地図、天文測量器具、和船引き札、
船鑑札,江戸海難漂流記ー蕃談)

 江戸時代の妖怪絵巻・ 日本の漫画文化原点の世界、・日本の妖怪は迷信としてではなく日本人の世界観を表したもの

 日本海沿岸で使用された手仕事古民具(恵比寿、大黒の大型自在など)、
 平安・鎌倉・江戸各時代の仏像仏画ー快慶の弟子の作品など

 日本の藍染物特に江戸・明治初期の筒描き
 
 江戸、元禄時代以降の鳴り物音のひびきを当時のままで聞くことができます

 江戸期安政時代からの地震錦絵版画資料 鯰絵など

 和算資料

 江戸時代の古典籍(特に経典など2千数百点)大楽寺で実際に学びの教科書として活用されていました

 特に江戸期の戯作作家 山東京伝の骨董集や昔語稲妻表紙全巻や十辺舎一九などの当時の和本原本作品
  江戸時代中期は伝統的「雅」と新興的な「俗」が理想的に融和した文化の開花期だったと九州大学名誉教授中野三敏氏は立証



  こちらのお寺では未来につながるクリーエィテイブなヒントが色々とみつかります。こころ静かにさがしてみてください

 


 
(お寺の法要開催時には入観料無料です(法要に関係の仏画が拝観できます)
 駐車場がありませんので公共交通機関を御利用下さい)

 (境内建物外回りの見学は無料です ただし怪しまれないよう日中明るい時間内に行動して下さい。墓所見学は危険
  ですのでお断りしています
  お声をかけることもあります



 
(宝物の拝観無料の方は下記限定です・無料希望の方は事前に無料の理由と拝観テーマをを御連絡下さい。プライバシーは
  守ります)


  ・大楽寺のお檀家とその御家族

  ・心身に障害のある方とその付き添い人

  ・失業者(60才未満)、生活保護受給者

  
  


 (拝観料割引について)
  
  ・ 団体割引(人数によります。ご相談下さい)

  ・ 各種割引クーポン券の利用は事前に連絡下さい 大楽寺が了承・指定にはつぎのようなクーポンがあります
    事前にインターネット検索でクーポンを印刷して持参下さい
    
    とやま子育て応援団クーポン(冨山県県知事政策局)
    とやま食の街道クーポン   (冨山県農林部農産食品課)
    平和堂HOPカード優待施設クーポン(平和堂)
    全国善光寺会クーポン(長野県 国宝善光寺)
    HISクーポン(日本を代表する旅行会社 )



トップへ